沢下条張 ボオタ、ボオタ

「おとなになってもずっといっしょや!」
 
ニッと歯を見せて笑う幼馴染に、彼との未来を思い描いた幼い私は頷いた。
その日から早十数年――無邪気だった幼馴染は今や大阪で知らない人はいないと言ってよいほどの破落戸となってしまった。
特にここ、難波では“刀狩”と呼ばれて恐れられている。
廃刀令のこのご時世に、武蔵坊弁慶よろしく張は人から刀を奪い続けているのだ。
 
子どものころは家が隣で、歳も向こうが一つだけ上だから毎日遊んでいたけれど、十代半ばごろに破落戸とつるみ始めた張とは、現在ほとんど交流がない。
時折、町中で見かける彼は、明らかに堅気ではない見た目の男達とけばけばしい女性を侍らせていて、私と住む世界が違うのだと理解した。
しかし、彼との交流は完全に途絶えたわけではない。
 
「よぉ、ひさしぶりやな」
 
こんなふうに私が一人でいる時や、私たちの関係を昔から知っている顔なじみしかいない時を見計らって話しかけてくるからだ。
私がひさしぶり、と返すと張は昔と同じく歯を見せて笑う。
そして自宅へ向かう私の隣に並んで歩幅を合わせて歩き始めた。
 
張は実家を出ているから今日は親御さんに用事でもあるのかもしれない。
お互いの家へと続く道を歩きながら近況を報告し合う。
といっても張の口からは近所にできた飯屋のご飯が美味しいとか、賭場で大負けして身ぐるみ剥がされそうになったとかそんな話題ばかりで、きな臭い話は一切出てこなかった。
 
話に花を咲かせているとあっという間に自宅に着く。
張は私の家の前で立ち止まると昔と変わらない人懐っこい瞳で見つめてくる。
その何か言いたげな眼差しの張を置いて家に入るわけにもいかず、見つめ返すと張は眉を下げて笑った。
 
「ちょっと野暮用で大阪出るわ」
 
いきなりの宣言に目が丸くなる。
大阪以外の場所に欲しい刀があるのかな。
――いや今までも張は大阪を出て刀を集めていたようだし、私にいちいち大阪を出るだなんて言ってこなかった。
聞きたいことがあるはずなのにまとまらなくて言葉が出てこない。
 
「ほな、またな」
 
何も言えない私に背を向け、張は片手をあげて立ち去った。
自分の実家に寄らず、まるで私に別れを告げるためだけにここへ訪れたような張。
そんな幼馴染の奇妙な行動は食事の間も入浴の間も私にまとわりついて回った。
布団に入っても張の姿がちらついてなかなか寝付けない。
何でわざわざ言いに来たのか……そういえば少し前、張が全身に包帯を巻いた男と盛大な喧嘩をしたと聞いた。
その男は包帯を巻いているから大怪我をしていたと思うのだけれど、なんとそんな状態で張に勝ったのだ。
そして負けた張はふてくされるわけでもなく、むしろ上機嫌だったらしい。
そのことも引っかかっていて、今日の奇妙な言動と関係があるのではと勘ぐってしまう。
 
張は「またな」と言っていたけれど、なんだかもう二度と会えないような気がして私の頬を涙が伝った。
昔のように話せなくなっても、近くにいるのなら寂しさなんて感じなかった。
大人になってもずっと一緒だって言ったのは張なのに、私を置いて遠くへ行ってしまう。
嘘つき。張のバカ。変な髪型のくせにモテてんじゃないわよ。
思いつく限りの悪態を心の中で呟くけれど、寂寥感は拭えなくて涙が止まることはなかった。
 
 
 
張が大阪を出て半年。張のいない大阪は少し静かに感じる。
周りは治安がよくなったと喜んでいる一方で、私は毎日憂鬱だった。
張は来月二十六歳になる。一つ下の私は……いいかげん嫁げと両親が勝手に婚姻話を進めていた。
先方は乗り気らしく、あと二月ほどで私は輿入れとなる。
好きでもない人との縁談なんて気が進まない。
かといって両親に訴えても徒労に終わるに決まっている。
張に頼りたくてもどこにいるのかわからないし、両親も助けてくれない(むしろ敵である)のなら、自分の身は自分で守らなくてはならない。
あと二月しかないけれどこれからお金はなるべく使わず、お給金も貯めて、そして大阪を出よう。
私には張のいない大阪に留まる理由がなかった。
 
 
 
バタバタと慌ただしい喧騒を聞き流し、私は押し入れの奥から行李を引っ張り出した。
蓋を開けると中には家を出るために荷物をまとめた風呂敷包みが入っている。
明日は私の輿入れだから、何が何でも今晩中に出て行かなければ――そう思っていると、いきなり部屋の襖が開かれた。
 
「なんやそれ」
 
振り返ると父が立っていて、その視線は私が触れている風呂敷包みへ注がれていた。
急いで隠そうとするけれど父の方が速く、私の荷物は大きくて浅黒い手によって奪われ、乱暴に畳に叩きつけられる。
勘の鋭い父のことだ。
少し前から私の思惑に気づいていて、今日は見張っていたのだろう。
 
「何が気にくわんのや」
 
地の底から絞り出したような怒気を孕んだ低い声に、私はおそるおそる張と一緒にいたいと答えた。
瞬間、父は私の胸倉を掴んで立たせたかと思うと右手を振り上げる。
反射的に目をギュッと瞑って頬に与えられる痛みに備えるが、父が私を叩くことはなかった。
ゆっくり瞼を上げると、父の振り上げた右手は握られていてぶるぶると小刻みに震えている。
さすがに明日、輿入れする娘の頬は叩けなかったと見た。
しかし苛立ちは治まらなかったのだろう。
 
「あんな輩の名を口にすなァ!!」
 
父の怒号が家中に響き、輿入れの準備をしていた使用人たちがピタっと動きを止めたのがわかった。
父は私の腕を掴み、草鞋を履かずに縁側から庭へ降りる。
腕を掴まれている私もそれに倣うしかなくて、素足に砂利が容赦なく食い込んだ。
 
父は庭の端に建てられている蔵の前まで行くと乱暴に南京錠を開ける。
薄暗い蔵の中から埃っぽい臭いをまとった生ぬるい空気が鼻先をかすめた。
父は腕を引いて私を蔵の入り口に立たせると力加減など知らないのか思い切り背中を突き飛ばしてきた。
 
蔵の床に左腕から着地してしまい、皮膚がひりひりと痛む。
体を起こして振り返れば、無情にも蔵の扉は閉められ、ガチャンと南京錠が取り付けられる音が耳に入った。
 
「明日の朝までここにおっとけ」
 
冷ややかな父の言葉に弾かれるように立ち上がって扉に手をかけるが、錠のかけられた扉が開くわけもない。
砂利を踏む足音が遠ざかっていく。
渾身の力で扉を叩いても誰かが蔵へ来ることはなかった。
 
 
 
くしゅんとくしゃみが出て、私は重たい瞼を上げる。
どうやらそれなりの時間を眠っていたようで、窓から見える空には太陽の代わりに月が昇っていた。
今は何時くらいなんだろう……月の高さから丑三つ時くらいかな。
幽霊なんてものを怖がるような歳ではないけれど、月明かりの届かない蔵の四隅は暗くて何も見えず、少々薄気味悪い。
そういえば昔、幽霊を怖がった張に厠について来て欲しいと頼まれたことがあった。
面倒くさかったし、昼間だから何も出ないよと断ったら結局お漏らししてしまった。
「せやからついてきていうたやん!」って怒鳴りながら泣きわめいてて、しばらく口を聞いてくれなかったっけ。
そんな張も今は父から輩認定されるような男となった。
確かに張は輩や破落戸、ならず者と称されても仕方がない素行をしている。
それに多分……人を殺めているだろうし。
 
張が殺人を犯していると噂が立ってすぐ、彼は私のところに顔を出した。
張は、悪事を働いた子どもがいつバレるのかとそわそわしているような、不安げな表情を浮かべていた。
私に知られたくなかったんだと思う。
だから私は知らないふりをして、最近寒いね、なんて当たり障りのない話を振った。
私も疎遠になりつつあった関係を切りたくはなかったから、その時の張のほっとした顔と私自身の嬉しかった気持ちはずっと忘れられない。
 
張はいつか大阪に帰ってくるのだろうか。
輿入れすれば私もこのまま大阪で暮らすことになるから、張の姿を見るくらいはできるかもしれない。
けれど私の嫁ぎ先の男は嫉妬深く、前妻を外に出さなかったと聞く。
私も座敷牢に軟禁されてしまうのかな。
――あぁ、なんだ……張の姿を見ることもできなくなるかもしれないんだなぁ。
 
立ち上がって蔵の扉に再度手をかけるけれど、ビクともしない。
むしゃくしゃして重い鉄扉をガンガンと叩いても手が痛むだけだった。
万が一に備え肌身離さず懐に入れている財布もここを出られなければ宝の持ち腐れ。
悔しくて涙があふれ、冷たく錆臭い扉に額を押し当てて嗚咽を漏らした。
すると私の泣き声に混ざって、かすかだがカチャカチャと金属のこすれ合う音が聞こえる。
 
余計な音をさせないようにしゃくりあげて震える喉に力を込めて耳を澄ますと、空耳ではなく確かに誰かが扉の向こうで南京錠を弄っていた。
誰かが蔵を開けようとしている!
嬉しくなって扉の向こうにいる人に声をかけようとしたが、ふと思い止まって口をつぐむ。
だって、家の者なら鍵ですんなり開けるはずなのに、手間取ってずっと南京錠を弄っているから。
音の大きさからも針金を使っているとしか考えられなくて、脳裏に強盗の姿が浮かんだ。
蔵の扉を開けてくれるのはありがたいが、強盗の顔を見たとなれば殺されてしまう。
かといって私に逃げ場はなく、強盗が入ってくるのも時間の問題だろう。
こうなったら蔵に入ってきた強盗を怯ませ、その隙に扉から外に出て逃げるしかない。
何か武器になりそうな物がないか辺りを見回すと、壁に立てかけられた竹箒を見つけた。
それを手に取り、扉に向かって構える。
視界に入る竹箒の穂先は張に似ていて、ほんのちょっぴり勇気がもらえた。
 
一分、二分……いつまで経っても扉は開かない。
特別複雑な南京錠ではないはずだけど、どれだけ鍵開けが下手なの?!初心者か!
箒を構えている腕が疲れからぷるぷる震える。
一回下ろそうかと思ったところでガチャンッと大きめの金属音が聞こえて、慌てて柄を握る手に力を入れた。
ドクドクと耳の奥で鳴る鼓動を聞き、乾いた唇を舐める。
入ってきたら思い切り叩いて、扉から逃げ出す流れを何度も思い浮かべ、大丈夫、いけるはずだと何度も自分に言い聞かせた。
 
ギギッと鈍い音を立てて蔵の扉が開き、月明かりで強盗の輪郭が浮かび上がった。
長身でがっしりとした体つき――そして竹箒のように逆立てた髪の毛が月明かりを受けてキラキラと輝いている。
 
「お前、なにしとんねん」
 
鍵を開けて入ってきたのはずっと頭を占めていた張で、私の口はぽかんと開いていた。
張も竹箒を構えている私を見て、きょとんとしている。
恥ずかしくなって素振りをしていたと苦し紛れに言うと、張は可哀想なものを見る時の憐れんだ眼差しを私に向けた。
腹が立つ。一発殴ればよかった。
張は私から箒を取り上げ、壁に立てかけると手を伸ばして私の頬に触れる。
 
「幽霊が怖くて泣いとったんか?」
 
青い瞳を細めてニタニタと笑い、張は革手袋に包まれた指先で涙を拭ってくれた。
幽霊が怖くてお漏らししたのはそっちでしょ、と返せば、覚えとらんなぁと言い放って真顔になった。
その反応は絶対覚えてるだろ……。
笑みを消した張は私から手を離し、ガシガシと頭を掻いた。
 
「わい、京都でムショに入っとったんやけど」
 
唐突に何を言い始めるんだ。
いきなりすぎて何と言ったらいいのかわからない私を無視し、張は話を続ける。
 
「まぁ、シャバに未練なんてあらへんって思ったんやけどな、の顔が浮かんだんや。わいの未練はお前やったっちゅーこっちゃ。そんで明治政府と取り引きして恩赦で釈放されたさかい、大阪戻ったらが明日……もう今日か、嫁入りするて小耳に挟んでな。いやー、ごっつ焦ったわ」
 
ぺらぺらぺらぺら……未練が私だとか、政府と取り引きだとか嬉しいやら物騒やらで混乱してしまう。
その後も話を続ける張曰く、我が家に来て私が蔵に閉じ込められていることを昔なじみの使用人から聞き出し、父が眠るまで潜んでいたらしい。
 
「ま、そういうわけで東京行くで。嫌や言うても連れてくけど」
 
どうやら私に拒否権はないようだ。
最も私も断るつもりなんてさらさらないけれど。
でも、このことで張の罪状に人攫いを加えたくない。
だから小声で「ボオタ、ボオタ」と囁くと、張は一瞬目を見開いてから視線を逸らし、頬を掻いた。
照れている時のしぐさを見せた張につられ、私もなんだか恥ずかしくなってくる。
 
「あー……それでええなら、ええけど」
 
ひとしきり照れた後、張は眉を下げてしまりのない笑顔を浮かべた。
私の家は沢下条家よりも栄えているけれど、張に対して嫁入り支度ができない。
だからボオタでいい。
 
張は私が裸足であることに気づくと、こちらに背を向けてかがむ。
ためらわずにその背に覆いかぶされば、張は立ち上がって何度か跳ねて私を背負い直した。
 
「眠かったら寝といてええで。ほな、行きまっか」
 
肩越しに私を見る張に頷いて、落ちないようにしがみつく。
東京はどんな街なんだろう。
不安もあるけれど、きっちり約束を守ってくれる張となら大丈夫。
 
「ボオタ、ボオタ、ボオタ……」
 
さすがに大きな声は出せないから、張は私にだけ聞こえるように「ボオタ、ボオタ」と繰り返し呟く。
心地よい揺れに温かい体温、繰り返されるボオタは子守歌のように私を眠りへ誘う。
 
「ちゃぁんとやくそくまもったやろ?」
 
夢の中に出て来た幼い張は、ふふんと得意げに笑っていた。

るろうに剣心WEBオンリー 浪漫博覧会用書き下ろし
2023.02.12